第14章 慈悲と慈愛 崇高な自己の発見

 この章では慈悲と慈愛について考えてゆきたいと思います。慈悲慈愛の慈とは友情を意味します。慈悲を他の言葉で表現すれば同情にあたります。それは自分と他の存在(自他)との間の境界を超えて相手の悲しみや無念の思いに共感できた時に湧いてくる意志のことだと思います。自他の境界を超えてとは、人と人との関係だけでなく、動物から花や草木などおよそ命あるもの全て、それだけでなく大地から大気にいたるまであらゆる対象を差別なく扱うことを意味します。

   私たち人はこの現実世界に生きながら心の中の主観世界に生きる存在です。主観世界と呼ばれる心象風景に写る景色、そこには人も動物も花も草木も自然風景も存在します。その心象風景に彩りを添えるのが感情です。散りゆく桜の花に切なさを覚え、切り倒された故郷の森に言葉にはならない無念の感情を覚えるのが私たち人という存在です。その無念の感情から湧いてくる意志が慈悲のことだと思います。心の中に写る景色は私たちの心そのものです。言い換えれば自己そのものです。そこに最早、自他の差別はありません。心象風景の中では、この私が桜の花であり、故郷の美しい森であるのです。例えれば心は鏡のようなものだと思います。その鏡に磨きをかければ、真実が明瞭に映し出されてきます。その映し出された真実が慈悲を呼び覚ますわけです。

   慈愛は愛するという行為そのもの。苦しむ者に希望という光を与える。道に迷いし者に導きを与える。保護を必要とする者に守護と生きる糧を与える。ただ与えるだけの行為のことです。慈悲と慈愛は愛という感情が意志と行為というかたちで現れたものだと思います。また愛が幸福と深く関わる感情であるとすれば、幸福とは調和そのものであると思いますので、愛は調和と深く関わる感情であると言えてくるわけです。

   しかし感情とは何なのでしょうか。他の言葉に置き換えるとすれば律動(リズム)が最も適当なように思われます。私たち人は音楽に同調して感情を左右させます。音楽には心を静めるもの、躍動感を与えるもの、切なさを感じさせるもの、神秘的感情を呼び起こさせるものなど様々ですが、そしてこのことから音楽表現が感情表現そのものであることに気がつきます。感情とは生命そのものなのかもしれません。最も精妙で協和的な律動が幸福と呼ばれる感情であり、そして愛とか美と呼ばれる感情も同じものを意味しているのかもしれません。美とは幸福を視覚化したものかもしれません。つまり調和そのものを目に見える対象にしたものが美そのものであるとなるわけです。愛とは幸福と呼ばれる最も精妙で協和的な律動が、ある機会をきっかけに慈悲と慈愛の動機となった時に自覚される感情かもしれません。私たちの心の中に不調和(不幸)な存在を調和(幸福)へと導きたい、導かなければならないという意志が湧いた時、幸福の感情が愛へと変わって自覚されるのかもしれません。

   このことから導かれることは愛と美こそ幸福そのものであるということです。これが即ち真理です。私たち人はともすれば、本能的欲求を満たすことこそ人生の幸福であると認識してしまう存在でもありますが、それらは身体の健康と生存を保障する上で必要な欲求ではあっても、一過性のものであることにも気がつかなければなりません。それらの欲求は満たされたとたんに消滅してしまう感情そのものであり、然るにそこに普遍的な価値など見いだせるわけがないわけです。本能的欲求を満たすことを中心にした人生は、あたかも幸福の幻影を追うがごときの様相を露呈いたします。最後に待っているのは老いと病と死のみです。こんな人生に希望の光など見いだせるわけがありません。欲求が満たされないことからくる苦しみと焦り、そしてその苦しみと焦りが呼び覚ます様々な否定的な感情にさいなまれながら、さまよい歩く一生をたどることになってしまうかもしれません。

   故に私たち人は、やはり常に自省的であるべきであると思います。自省とか内省の言葉の意味は自己を省みるということですが、省みるとは今ある自己を一度否定したうえで、新たな自己を創造し肯定してゆく、新たな心境を開拓してゆこうとする意志のことだと思います。この自省があって、はじめて人は真実の幸福を自覚できる存在になれるのではないかと思います。自己を創造するとは心を豊かにしてゆくことですが、この創造的意志により心の認識の領域を拡大して心の視界を広げてゆく、そこに真実の幸福の輪郭が明瞭に現れてくるわけです。私たち人の心とは例えてみれば楽器のようなものだと思います。楽器のできが悪ければ良い音は期待できません。幸福と呼ばれる最も精妙で協和的な律動(リズム)を表現するには、優れた楽器が必要になります。私たち人は、この授けられた人生の中で豊かな体験を積むことにより優れた楽器を作る術を学ばなければならない存在であるのかもしれません。