第12章 自然界の進化原理

 自然界をよく観察してみますと自然現象とは何らかの平衡の破れ(バランスの崩れ)が原因となって生じていることが理解できます。例えば、水は高きから低きに流れると言いますし、風とは気圧の高い大気から低い大気への空気の流れそのものです。平衡とはバランスのことですが、このバランスが崩れたところに様々な現象が表ずるわけです。自然現象とは宇宙から生命、そして私たち人の意識まで全てを含むと理解して良いと思いますので、当然これらは平衡作用の支配を受けていることになります。 宇宙誕生(ビッグバン)は何らかの平衡の破れが原因となっていると思います。宇宙はけっして無からたまたま偶然に誕生したものではないはずです。宇宙空間の拡大も平衡作用そのものだと思います。つまり何らかのバランス、平衡状態が実現するまでこの宇宙は拡大し続けることになるわけです。

   人類がここまで進化した背景にも平衡作用が働いていると思います。つまり進化とはバランス作用そのものであるということになります。バランス作用とは調和に向かう統一作用と理解すればよいと思いますので、進化しているものほど調和に近づいていることになります。外観上、人と類人猿の身体を比較してみましても、明らかに人体の方が洗練されていることがわかります。人の意識もしかりです。自己実現とは個性の充実、つまり高い意識レベル(認識レベル)を実現することを意味しますが、これも進化そのものであると言って良いと思います。調和ある人格とは意識レベルの高さ、つまり心の豊かさの指標となるべきものです。

   人が花を見て美しいと感じることができるのも、そこにある種の調和を実感しているからだと思います。人が幸福を実感できるのも、幸福が調和そのものであるからではないでしょうか。然るに幸福を求めることとは調和を求めることと同じになります。私たちの人生が自然界と同様、平衡作用の支配を受けているということであれば、人が幸福に求めることとは摂理そのものであると言って良いと思います。つまり人は幸福になるべき存在であると言うことになります。そこに人が人として存在する故の真理があるようにも見えてきます。 不完全で調和に遠い人格ほど、調和への道程は長くなります。私たち人はこれまでの生活体験からその道程がけっして容易なものでないことを良く理解していることと思います。時には強い意志と忍耐を必要とする時もありましょう。調和とはそれとは正反対の体験、つまり悲しみや無念などを通して始めて実感できてくるものなのかもしれません。古来より神と呼ばれている存在は完全な調和のことでもあるかもしれません。そう考えますと人とは完全を求めて進化する存在であるとも言えてくるのではないでしょうか。