第10章 因果律、原因と結果の法則

 自然現象や人間活動など私たちが目にすることのできるあらゆる現象や事象の背景には原因となるものがかならず存在します。これを原因と結果の法則、因果律と呼びます。具体的に自然災害の例をとりまして、この因果律について観察してみたいと思います。自然災害は自然現象に人為的要素が関係することで発生します。自然現象そのものは本来、人の活動とは無関係で在ることは自明の理ですが、その自然現象が人間社会に人的、物的被害を及ぼした時、人はこれを「現象」ではなく「災害」と呼ぶことになります。

   この自然現象と人間社会の間にある因果律(原因と結果の法則)を観察してみますと、経済的に豊かで、教育レベルも高く、情報化が進んだ社会では、低い社会に比べ防災意識が高く、日頃から防災にそなえた法整備や社会インフラの蓄積に努力している傾向が見られます。結果として文明度の高い社会は低い社会に比べ自然現象の影響を負の要因として受けるレベルが必然的に低下していることが理解できるところです。この「社会」を「時代」に置き換えても同じことが言えます。 比喩的な表現になりますが自然現象には自然を支配する因果律が働き、人間社会には社会を支配する因果律が働いていると言っても良いでしょう。

   では次に人、ひとりひとりと社会の間の因果律を観察してみますと、人には各々生活事情や経歴というものがありますし、自由意思もあります。人は社会との関わりの中で自分の人生の多くを形成してゆく存在であることを考えれば、過去から現在にいたる社会との関わり方が原因となって現在の生活が存在することがわかります。これらも当然、因果律(原因と結果の法則)の支配を受けてます。もちろん当該の自然災害発生とは無関係にです。

   以上観察してみますと各段階(自然、社会、時代、個人)での因果律が時間的、空間的に重なり合うことで自然災害が発生していることが理解できるところです。この因果律の重なり合いは決して偶然なものではありません。何故なら重なり合いも当然現象の一つである以上、因果律(原因と結果の法則)の働きによるものになるからです。 私たちが眼前で起きている現象や事象を見て、「これは偶然である」とか、あるいは「運命的である」とか呼ぶのは、あくまで見た目の印象を感情で表現しているに過ぎません。感情と現実を混同すべきではありません。これを迷い、迷信の因果律と呼んでも差し支えないと思います。

   確かに一口に因果律の働きと呼んでも、観察の対象となる現象や事象の背景にある法則や摂理は複雑で解析困難な例も多いと思います。然しだからこそ、冷静に真偽を見分けることのできる科学的合理性が求められてくるのではないでしょうか。